R.元年12月18日掲載 【楽しい一年を】 ![]() 来年の干支のネズミ。横幅6センチの小石に描きました。 いよいよ年の瀬。普段から掃除はマメにやっていて、家中どこにも塵ひとつない。 だから、忙しない時に大掃除はしなくても・・・と自分を甘やかしかけて、ふっと天井を見上げると、照明器具の汚れが目に入る。 さらに視線を移すと、夏以来、洗っていないカーテンも気になってくる。そこへ年末年始の料理思案が重なってくる。 そうそう、年賀状も書かなければ。そのためには、と急き立てられるように仕上げたのが、掲載した写真の石絵。 来年の干支のネズミです。横幅6センチの小石なので、一番大きいネズミでも、1センチほどの体長。 背景の子供たちは、5ミリ未満しかありません。もっと大きな石に描けば楽なのですが、それでは楽しくないんですよね。 超極細の面相筆の先端に、わずかにアクリル絵の具をつけて、ちまちまと描く。肩は懲るものの、面白いのです。 つまり、楽(らく)と楽しいは同じ字を使いますが、違う意味合いを持つのでしょう。 「来年は楽しい一年がいいか、楽な一年がいいか」と選択を迫られたら、前者を選ぶ人が多いのでは。 たとえ、大変なことや、難しい課題があったとしても、それを乗り越えれば、精神的な充足感が得られる。笑顔になれる。 一方、最初から楽なほうに流されていたら、達成感も満足感も得られずに、心から笑うことがなくなってしまう。 ‘’笑う門には福来る‘’ですから、楽より楽しいほうが幸せだということになると思います。 最近、読んだ小説内で、登場人物がこのように言ってました。「人間、どこから来たのかではなく、どこへ行くのかが大事だ」と。 道尾秀介の推理小説『カエルの小指』に出てくるセリフです。過去が辛くても、未来を楽しく生きていきたい。そんな思いをこめた作品。 どんなお話かと言いますと・・・詐欺師から足を洗い、口の上手さを武器に実演販売士として真面目に生きる道を選んだ武沢。 しかし謎めいた中学生のキョウが思わぬ依頼とともに現れたことで、彼の生活は一変し、集団詐欺グループと対決することになる。 武沢はかつての詐欺仲間と再集結し、キョウを救うためにテレビ番組を巻き込んだ大仕掛けを計画するが・・・というような内容です。 鮮やかに敵を欺いていくストーリーは興奮しますし、読者自身が作者に何度も何度も騙されます。 今回もストーリーテラー道尾氏の手腕が発揮されています。 この作品は、2008年に発売された『カラスの親指』の続編。前作未読でも堪能できますが、 両作を併せて読んで頂いたほうが感情移入ができます。 二作品を読破するのに時間がかかるかもしれませんが、深い人間ドラマも味わえますし、 お正月休みにでも是非。きっと楽しい年を迎えられますよ。 |
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R.元年11月20日掲載 【家族を思う父の愛】 ![]() アドベンチャーワールドのジャイアントパンダ、英明。偉大なる父親です。 先週、孫を連れて、白浜のアドベンチャーワールドに行ってきました。息子が成人してからは、しばらく足が遠のいていたので、久しぶり。 今や、バァバと呼ばれる身になりながらも、童心に返って、楽しい時間を過ごすことができました。 やはり一番人気は、ジャイアントパンダですよね。周囲にはたくさんの観光客が集まり、カメラやスマホをかざしていました。 ご多分に漏れず、私も撮影。掲載した写真は、15頭の父親として有名な英明です。 今年、27歳の彼は、 人間にすれば70代後半。高齢ですが、衰えを感じさせません。 むしろ年齢を重ねた分の貫禄があります。 晩秋の柔らかな日差しの中で、のんびりとお昼寝をしている姿を見ていると、脳裏にふと寺田寅彦の俳句が浮かびました。 「人群がる動物園の小春哉」。きっと、英明の胸中は、こんな感じでしょう。 何事にも動じず、泰然と構えていますから。 世界的な記録であるパンダファミリーを築いた彼は、穏やかで、頼もしく、芯が通って、愛情に満ちた父親であるに違いありません。 そういえば、最近読んだ小説の二作品とも、父親の愛を描いたものでした。ひとつめは、貫井徳郎の『罪と祈り』。 どんなお話かと言いますと・・・ 元警察官の父親が殺され、息子の亮輔は、幼ななじみである刑事の賢剛とともに、死の謎を追う。 真面目で正義感あふれる父の過去に何があったのか。調べるうちに、バブル期に起きた誘拐事件に辿り着き、賢剛の父親の自殺にもつながっていく。 どんな秘密が隠されていたか・・・という内容です。 二世代に渡る壮大な物語で、現在と過去が交差しつつ真相に近づいていく構成が、出色のミステリーです。 もうひとつは、東野圭吾の『希望の糸』。 そのストーリーはと言うと・・・、喫茶店を営む女性が殺され、常連客だったひとりの男性が捜査線上に浮上する。 彼は、災害で二人の子供を失い、深い悩みを抱えていた。いったい、何を隠しているのか・・・。 こちらのほうの話は、父だけに焦点を絞っているわけではありませんが、両作品とも父親たちは秘密を持っています。 その是非はあれ、家族を守るためという思いは同じなのです。 おそらく、日なたぼっこ中の英明も、ファミリーのことを常に思っているのでしょうね。陽だまりのような温かな気持ちで。 |
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R.元年10月16日掲載 【食欲の秋に】
![]() 粉河町の広葉樹林で見つけたシロオニタケ 実りの秋、とりわけ私が好きなのは、カキとクリとマツタケ。
もっとも、国産マツタケは店頭でお目にかかることすら少ないですよね。 ところが、印南町の山道を歩いている時、マツタケを発見したのです。やった!と喜んだものの、肝心の香りがしない。 おそらくニセマツタケかマツタケモドキだったのでしょう。日本には、四千から五千種類のキノコが存在しているようです。 紛らわしいものが多いのは、散策していると実感します。 勿論、特徴のはっきりしたキノコもあります。それが、今回の写真、粉河産土神社の裏の林で撮影したシロオニタケです。 白いイボが鬼の角のように見えることから名付けられたとか。褐色の枯れ葉の中、輝くような純白は美しいのですが、 尖ったイボのせいか、食べようという気にはなりません。調べてみると、毒キノコとして有名なテングタケの仲間。 やはり、中毒症状を起こすそうです。シロオニタケなら、見るからに食指が動きませんが、 殆どの場合、一見しただけで食用かどうかを判断するのは困難ではないでしょうか。 そういえば、松尾芭蕉がこんな句を詠んでいます。「茸狩やあぶなきことに夕時雨」。キノコ狩りに行って帰ってきたら時雨が降り始めた。
もう少し山中にいたら雨に遭って危なかった、と。確かに、天候にも要注意です。 なおかつ、判別の難しいキノコを安易に採るのも危険。 芭蕉は目利きの人を同行していたのかなと気になってしまう一句です。 ちなみに、毒キノコをネタにしたミステリーの代表が、赤川次郎のデビュー作『幽霊列車』。
山間の温泉町の駅で列車に乗った8人が、忽然と消えてしまうという謎を解くお話。 少々ネタバレになりますが、人口に膾炙した小説なので、お許しを。 キノコ料理が名物の温泉なのに、旅館の客が毒キノコで中毒死。その事件隠蔽のために列車トリックが行われたのです。 このような作品を読むと、野生のモノは怖いと感じるのですが、それを否定するかのごとき佳作も。 山本甲士の『ひなた弁当』です。どんな内容かと言いますと・・・ 四十九歳の主人公は、長年勤めた会社からリストラされてしまう。 そして派遣社員となるが仕事はなく、出勤しているふりをする日々。 そんな絶望の中、時間つぶしの公園で見つけたドングリから、一つのアイディアが浮かんで・・・というストーリーです。 野草や川の魚など、普段は気にも留めない自然の食材を使っての大逆転劇ながら、展開はほっこりしています。 秋冷えの候、こういう心が温かくなる本もいいですね。食欲の秋にもぴったりです。 |
R.元年9月18日掲載 【ヒガンバナと禁忌】
![]() ヒガンバナの群生と稲穂と秋空は、まさに日本の原風景 あさって20日は彼岸入り。なので、今回の写真は紀美野町で撮影したヒガンバナです。
まだ蕾が多いものの、来週になれば、一斉に咲き、美しい景観が楽しめることでしょう。 とはいえ、ヒガンバナ自体は、不吉なイメージがあるようで、死人花、幽霊花、地獄花など芳しくない異名がついています。
ただ‘’天上に咲く花‘’ を意味する曼殊沙華もヒガンバナの別名で、こちらのほうは、瑞兆でおめでたい。 だから、縁起が悪いと決めつけるのは一方的。 相反する顔を持っているのですが、忌まわしい印象のほうが、昔は少しばかり強かった。なぜなのでしょうか。 それを解く鍵が、小林一茶の句にあります。「なむだ仏なむあみだ仏まんじゅさ花」。
結句は曼殊沙華のことです。一茶は墓地か寺にいるのでしょう。土葬の時代、ヒガンバナは墓に多く植えられていました。 地下茎に毒があるので、ネズミなどの動物が嫌い、墓を掘り荒らさないからだとか。田の畦に植えるのも、同様の理由です。 有毒だから、人間たちも、この花を厭わしく感じたという側面も否めませんが、スズラン、スイセン、キョウチクトウなど、 美しい花に毒があるものは数多いのです。ヒガンバナだけ禍々しく思われる筋合いはないはず。 これは、やはり一茶が句を詠んだような場所、すなわち墓などに咲いているからだとしか思えません。 それを裏付けるように、江戸時代の『和漢三才図絵』には、ヒガンバナについて、こう記されています。
「墳墓辺に多くある故 死人花というて人家に 種 (う)うるを忌む」と。 親や祖父母から「ヒガンバナを家の中に植えてはいけない」と言われた方も多いでしょう。 その言葉は、三百年以上も続く禁忌だったのですね。
ところで、「〜してはいけない」という戒め。これを読者に投げかける推理小説があります。
それは、道尾秀介の作品、『いけない』。四章から構成されていて、 第一章の「弓投げの崖を見てはいけない」は、トンネルで起きた交通事故が、殺人の連鎖を招くというお話。 各章ごとに短編になっていて、ひとつの町で起きた別々の事件を描いています。
秀逸なのは、各章の最後のページにある写真で、その話の真相がわかるという仕掛け。 さらに、すべての物語が絡み合い、最後にはまた驚きがあるという技巧。 ただし、章末に掲載された写真を見ても、再読しなければ、なかなかトリックを見破れません。 タイトルの警告通り、だまされては‘’いけない‘’と構えて読み、写真を見ても、真実に辿り着くまで時間がかかりますが、 新たなるミステリー手法です。お彼岸の連休にでも、ご一読を。 |
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R.元年8月21日掲載 【心の原風景、赤トンボ】 ![]() 高野山に程近いかつらぎ町で撮影したミヤマアカネ
今回の写真は、かつらぎ町志賀で撮影したミヤマアカネ。
日本で最も美しい赤トンボと言われています。
その特徴は、翅にある褐色の太い帯とピンクの縁紋なのですが、掲載したトンボはまだ若いので白い紋。 成長につれ白色からピンクに変化するそうです。この色合いや姿形だけでなく、名前もまた麗しくて、漢字表記にすると‘’深山茜‘’。 いかにも情趣があるトンボなのですが、残念ながら、生息数は激減していて、和歌山県でも準絶滅危惧種に指定されています。 ちなみに、赤トンボというのは、アカネ属のトンボをまとめて呼ぶ言葉で、日本には
21種いるのだとか。
その中でも、私たちが一般的に赤トンボと言っているのは、稲田の上を群れて飛ぶアキアカネでしょう。 童謡「赤とんぼ」で歌われているのも、アキアカネだと思います。夕暮れ時に赤とんぼを見て、懐かしい故郷を思い出す。 この郷愁に満ちた歌詞は、作者である三木露風の実体験だと言われていますが、個人的感傷にとどまらない味わいを持っています。 なぜ多くの共感を得ているのでしょうか。 おそらく、子供の頃に見た赤トンボの記憶が、故郷という土地だけでなく、その核となる父母への追慕誘うから。 つまり、家族そのものと繋がるからこそ、赤トンボは老若男女にとってノスタルジックな存在なのでしょう。 自由律俳句を詠んだ漂泊の俳人、種田山頭火の句に次のような作品があります。
「笠にとんぼをとまらせてあるく」「つかれた脚へとんぼとまった」「いつも一人で赤とんぼ」。 あたかも旅に同行しているかのようなトンボこれは、山頭火自身が「家郷忘じ難し」と記した思いの具象化であり、 さらにいえば、十歳の時に自殺した母への思慕の象徴であるように感じます。 多分、山頭火の見た赤トンボには亡き母の魂が宿っていたに違いありません。 そんな思いに重なるミステリー小説があります。小杉健治の『父からの手紙』です。
内容を簡単に書きますと・・・麻美子の父は、家族を捨て失踪した。 しかし、彼女と弟の元には、誕生日ごとに父からの手紙が届く。
十年が経ち、婚約者の殺害容疑をかけられた弟を救うため、麻美子は父を探す。 一方で、かつて罪を犯した男が兄の死の真相を知るため義姉の行方を探している。
二つの全く異なるストーリーが交互に展開されていき、やがてこれらの出来事が意外な展開で繋がっていくのだが・・・というようなお話です。 父の手紙には仕掛けがあるのですが、その想いがとても切ないのです。 そして、最後の手紙の末文は、こう締めくくられます。「父さんはあなたたちに会いたくなったら、赤とんぼになってあなたの傍に行きましょう 」。 前述の露風も山頭火も、そして小杉健治も、赤トンボに強い印象を持っているのです。それは私たちにも共通するもの。
もしかしたら、赤トンボへの特別な愛着が、日本人のDNAに組み込まれているのかもしれませんね。 |